明けて日曜日。
6時前から朝食の準備が始まる。
食事やもろもろの準備を済ませ、全員でおばあちゃんに最後の挨拶。
泣く、泣く、泣く。とにかく声をあげて泣く。
不謹慎かもしれないけれど、ちょっと怖かった。
9時。出棺。
今日も豪雨だ。急遽、長靴やら使い捨てのレインコートが準備されたけれど、おそらく役には立たないだろう。
おばあちゃんの棺が乗せられたバスと共に親族も移動。
長年暮らしたシデク(=オットの実家)の前でバスを停め、雨の中、棺の前にお供えをし、ジョル(韓国式の挨拶)。
写真と位牌を持ち、家の外を一周する。
シアボジ(=義父)が泣き崩れ、コモ(=オットの叔母)に支えられシデクを後にした。
「オンマ ヨギ イッチャナヨ(お母さん、ここにいるじゃないですか)」と何度も棺に向かって泣き叫ぶ姿が痛々しかった。
韓国は基本的には土葬なので、葬儀は山で行われる。
豪雨のため、ぬかるんだ道を大型バスがゆっくりゆっくり登っていく。
到着した場所は半分程度しか穴が掘られておらず、私たちはバスの中で待機した。
隣には祖父が眠っているらしい。
日本的発想なんかもしれないけれど、私は火葬でも土葬でもいいから、オットと同じお墓に入りたいと思った。
穴ができ、納棺。少しずつ、少しずつ土で埋められていく。
土が掛けられるたびに、大の大人が「オンマ、オンマ(お母さん、お母さん)」と声を荒げる。シアボジやチャグンアボジ(=オットの叔父)はお墓の中に飛び込もうとしている。
本当に不謹慎だと思うけれど、正直、怖かったし、この人たちはどこまで本気で?とも思った。
日本人と結婚し、長年、日本に住んでいたコモは一言も声をあげることなく、ぐっと唇をかみ締め、最後には顔を手で覆った。
そんなコモをヒョンニム(=義姉)がそっと支えるすがたが痛々しい。
葬儀が終わったのは4時をまわっていただろうか。
皆、バスに乗り込チャグンアボジの家へ。チェサ(法事)が行われた。
ハルモニ(=おばあちゃん)の位牌の前でお香典を計算したり、服ドロだらけになったよね、と笑って話している姿を台所から黙って眺めた。
シデクに着いたのが9時。
シャワーを浴びて、すぐに寝た。
本来なら、翌々日にオイル(5日)のチェサを行うのだけれど、私たちは月曜日の最終便で帰国。
家に着いたら11時半をまわっていた。
3日間、長かった。
これまで、大概のことは経験してきたつもりだったし、もう、韓国に対して驚くことはないだろうと思っていた。
けれど、私が感じた「怖い」と言う気持ち、これこそが文化の違いなのだと痛感した。
まだまだ未熟だ。