13日の朝一番の便で羽田を発った私たち。
シデクはソウルではないので、11時半にソウルに着いたとしても、そこからまた軽い小旅行の始まりなのだ。
シデクに到着したのは3時半を過ぎた頃だったと思う。
今回の帰省はシオモニの還暦祝い。その打ち合わせのため、まずはアジュボニム(義兄)のところへ。
そこで今日はいとこのトルチャンチ(一歳のお祝い。ホテルや宴会場などで客人を招いて盛大に行う)があるということが発覚。夜はそちらへ。
トルチャンチに還暦祝いという祝賀行事が連続で行われるため、普段の週末にもかかわらず、ミョンジョル(盆正月)並の集まり。
トルチャンチが終わると、皆が一斉にシデクに雪崩れ込む。
近くに住む親戚もみなシデクに雪崩れ込む。
ちなみに、シデクは韓国にありがちなごくごく普通の一軒家だ。
アホみたいにリビングと台所が広く、その広いリビングをぐるりと囲むように3つの部屋とお風呂&トイレ。
さて、ここでひとつ考えてみよう。
この家は日本で言うところの3LDKなわけだけれど、ひとつは完全に物置として使っており、オンドルも入れていない(※冬の韓国でオンドルがない部屋は地獄です)ため使えない。
残るはリビングと2つの部屋。
そのうち一つは病気のシアボジが使っている。ゆえに、こちらも使えない。
さて、残る部屋は6畳程度の部屋と広いリビングなわけだけれど、集まった家族は5家族(シプモは除く)。
これ、どうやって寝ましょ?
もしかしたら、近くに住む親戚夫婦は帰るかもしれない(それでも4家族なわけだけれど)という希望を抱くも撃沈。
6畳の部屋はソウルに住む親戚のおじさん夫婦に占領され、残りはリビングで雑魚寝するという羽目に。
・・・・・・ 男 女 混 合 で す よ ?
私的には全くあり得ないことなのだけれど、我がシデク的にはあり得ることなのだ。
これまではシアボジも元気だったし、私たち夫婦はシプモの寝室を使わせてもらっていただけのこと。
これから先、こういった集まりの時、こんなことが繰り返されるのかと思うと正直、「韓国無理!」と思ってしまった。
この一件(この他にも諸々重なったのだけれど)で、私的にはもう韓国には戻らないという気持ちが確固たるものになったので、韓国在住の友にも伝えねば、などと思っていた。
が、しかし。
嵐のように親戚一同がそれぞれの巣に帰ったあと、がらりと広くなったリビングにポツンと残されたシプモを見ていたら、それもどうかなと。
親戚の集まりが嫌なだけで、シプモに対しては全く嫌だという感情はない。
帰国の日、朝から元気のないシアボジ。
今度はいつ帰ってくるんだと泣きながら聞くシアボジ。
私の親がいつまでも元気じゃないように、シプモだっていつまでも元気なわけじゃない。
「あんたたちが元気なら、それでいいのよ。お金がもったいないんだから、そんなにちょくちょく帰ってこなくていいのよ。アボジのことは心配しないで。」と涙を浮かべながら言うシオモニ。
二度とこんな国に戻るものか!などと一瞬でも思ってしまって悪かったなと反省。
やっぱりいつかは韓国に戻らなきゃなぁと思う私。
シデクに行くたびにいろいろあるけれど、結局、帰る時はいつも、戻るべき場所はここなんだろうなと再認識させられてしまう。
まあ、どれぐらい先になるか分からないのだけれど。
そして、ソウルで用事を済ませ、飛行機に乗り込む。
最終便だったので、羽田に到着したのが9時半。
ところが・・・・・
つづく(←って、小説かよ!)