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カテゴリ:哀( 128 )
by たいたい

餅は餅でも
2018年 02月 16日
今日は旧暦のお正月。
催事は旧暦に従う韓国は、もちろん本日がメインの(?)お正月。
そんなわけで、授業参観やらサッカーやらがあるにも関わらず、正月料理。
ムスコが生まれてからというもの、ずいぶん手抜きしていたので、今年こそはと思ったら、今年はイベント重なりまくり。←ただの言い訳
午前中にできるものは作ってしまい、学校へ。
その後、ムスコを迎えに行き、家に帰ってからお正月のメイン料理の떡만두국(トンマンドゥクック)を作る。
떡만두국とは水餃子に韓国の雑煮用おもち(スライスした薄い餅)が入ったもので、これがないとお正月が始まらない。
・・・と言っても、日本在住の日本人からすると、もう始まるどころか、正月はとっくに終わっているのだけれど。
冷凍室にあるはずの떡(餅)をガサゴソと探す私。
うん、あった!
あったよ、母さん。
・・・トッポッキ用の太い떡(餅)が。
チーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
近くに売ってるお店はあるけど、外は寒いし面倒くさいし。
泣く泣くトッポキ用のお餅をスライスする私。
かっちこちのお餅を無言でスライスする私。
そんな素敵な2018年の旧正月。
どちら様も「新年の福をたくさんお受け取りください」。

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by たいたい by taitaifromichon | 2018-02-16 21:15 | | Comments(0)

記憶
2018年 01月 17日
あれから23年。
あの日、なぜか頭を窓側に向けて眠りについた私。
明け方、船に揺られる夢で目が覚めた。
「違う!地震!」
飛び起きたときには、足元に棚の上の花瓶が落ちていた。
いつものように寝ていたら、間違いなく頭に直撃していたであろう花瓶。
あれから23年。
あんなに怖く、あんなに心細く、そして、あんなに悲しい思いをしたことはなかった。
毎年、1月17日という日を忘れることはなく、祈りをささげた。
時がたつにつれ、「明日は17日だ」と思うことはなくなったけど、不思議なことに目が覚めるのだ。
17日の明け方目が覚め、時計を見るといつも5時40~50分ぐらい。
そして、朝のニュースでその日が17日だったと思い出す。
そんな不思議な体験が5~6年前から続いていた。
ところが、今年は目覚ましが鳴るまで目が覚めなかった。
目覚ましを止め、時間を見ると6時20分。
いつものように起きて、いつものように朝ごはんを作り、いつものようにムスコとヲットを送り出す。
パソコンで新聞を見て気がついた。
今日は1月17日だ。
あれから23年。
人間の記憶とはそんなものなのだろうか。
あの日、被災され大切な人、大切なものを奪われた方、そして、無念にもこの世を去らなければならなかった方々に祈りを。

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by たいたい by taitaifromichon | 2018-01-17 22:37 | | Comments(0)

変わらないものと変わるもの
2017年 08月 15日
久しぶりにソウルに行った。
友と会うために数時間立ち寄ったのがもう5年も前のこと。
地下鉄に乗って、街を見て、人を見たのはかれこれ10年ほど前だと思う。
10年ひと昔とはよく言ったもので、本当に何もかもが変わっていて、浦島太郎はきっとこんな気持ちだったに違いないと密かに思った。
街は美しく、物は溢れ、私が暮らした15年前とは比べ物にならない場所になっていた。
5年ぶりに会う友と、その頃の話をした。
むこうのデパートでグレープフルーツがあるらしいと聞けば、むこうに走り、あちらのデパートにプレーンヨーグルトがあると聞けば、あちらに走り。
トマト缶を見つけたと聞けば、これで楽にパスタが作れると歓喜し、日本食材専門店ができた時には鼻息も荒く駆け込んだものだ。
大げさに聞こえるかもしれないけど、私が住んでいた15年前はそんな感じだったのだ。
本当に日本では普通にスーパーで買える物がなくて、デパートにようやく入ったと聞いていってみると、手が出せるような値段ではなかったり、ここは戦後かとよく友と話したものだ。
だから、ある意味、その友とは戦友のようなもので、苦労したからこそ笑い話にできる。
(もっとも、そんな昔のことはすっかり忘れてしまっているけど)
「今の人たちは何も苦労なく住めていいよね」という自分たちが、まるで年寄のよう。
田舎も同じ。
1年ごとにいろんなものができている。便利になっている。
街がきれいになって、昔ならソウルにしかなかったようなお店が田舎にもあったりする。
でも。
人は変わらない。
我がシオモニ(義母)はとてもよくできた人で、正直、私は恵まれていると思う。
帰る時は、いつも「旦那の家に1週間もいて、嫁は大変なんだよ。」とヲットにこっそり話している。
そのせいか、空港に向かうバスの中で、いつも来年はもう少し長くいようと思うのだ。(結果、毎年1週間だけど)
でも、今回はそうは思わなかった。
もちろん、シオモニには全く(と言ったらウソになる)不満はないけど、周辺の親戚に会えば会う程辟易とする。
街はこんなに変わるのに、どうしてこの人たちはこんなにも変わらないんだろう、と。
そして、やっぱり私はもう韓国には住めないと思った。
ヲットには申し訳ないけど、無理だと思った。
今回の修行の結論はそれ。
ある意味、悟ったと思う。
と、帰国してすぐに愚痴ってみる私。

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by たいたい by taitaifromichon | 2017-08-15 22:07 | | Comments(4)

恒例の修行
2017年 08月 07日
ドナドナドナドナ 子牛をのせて
ドナドナドナドナ 荷馬車は揺れる

明日から恒例の修行の旅に出ます。
がんばれ、私。 


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by たいたい by taitaifromichon | 2017-08-07 10:04 | | Comments(6)

恒例の
2017年 02月 20日
1月も終わりに近づくと、毎年鼻がムズムズの私。
ところが、今年は全くなんともない。
それどころか2月も半ばを過ぎているのに、くしゃみひとつ出ない。
花粉症は突然発症して、突然治ったりもするなどとよく耳にするけど、これはもしかしたらもしかしたんじゃ・・・??
中学2年の春からだから、もう何十年のお付き合いになるんだろう。
長かった。
毎年、毎年、あの黄色い奴らに怯え、いくつもの眠れない夜を過ごし、廃人となったこの数十年。
本当に本当に長かった。
でも、それもこれも今年からは良き思ひ出(ちっとも良くはないが)。

・・・と思っていたら、春一番の吹き荒れた先週の金曜日の夜のこと。
なんだか鼻がムズムズ。
翌日はムスコの幼稚園の音楽会。
鼻水じゅるじゅる。
これは、幼稚園側の泣かせる演出に負けてのことか。
いや、違う。くしゃみも出るし、目だってかゆい。
嗚呼、やっぱり今年もやってきたのか。

そんなわけで、今年もしばらく雲隠れ。
廃人となる予定(まあ、花粉が飛んでなくても廃人のダメ人間だけど)。
へば。
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by たいたい by taitaifromichon | 2017-02-20 21:13 | | Comments(0)

難病
2017年 01月 11日
神様は意地悪だ。
お元気でいてほしい人に限って病魔を忍びよせる。
人はいつか逝ってしまう。
分かってはいるけど、元気でいてほしい人はずっと元気だし、記憶の中のままだし、その存在はいつまでも変わることなくあり続けると思ってしまう。
以前、恩師が入院されたときもその思いが強すぎて、なかなかお見舞いに行けなかった。
当時、韓国に住んでいたため、物理的に無理だと自分に言い訳をしていたけど、実のところは変わってしまった恩師にお会いすることが辛かったからだ。
重い腰を上げてお見舞いに行った時、恩師はすでにお話ができない状態だった。
もっと早く来ていたら。
今の私があるのは、恩師のおかげに他ならない。
一言お礼を言わなければならない方だったのに。
あんな思いは二度としたくない。
けれど、やっぱりまた自分に言い訳をしている。
子供がいるから、行けない。
今度は子供のせいにしている自分がいる。
今、お話できるときに行かなければ。
分かっているにに。
十分すぎるぐらい分かっているのに。
神様は意地悪だ。そして私は意気地なしだ。
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by たいたい by taitaifromichon | 2017-01-11 12:10 | | Comments(0)

何かが足りない
2016年 12月 09日
去年のFNS歌謡祭、平井堅はどこに進もうとしているのかとファンの私ですら少々心配に。
でも、今年は安心して見られた。
何より、松任谷由実とのコラボが非常に満足。
ユーミンと言えば、先のスマスマ。
SMAPファンなら誰しもが涙したに違いないと思われるパフォーマンス。
きっと視聴者に向けてではなく、SMAPの5人に向けてのメッセージだったんだと思う。
だから、それを受けて涙したメンバーがいたのだと思う。
女神。あのパフォーマンスは女神の一言に尽きる。
そのSMAP。
予想通り、噂通り今年のFNS歌謡祭の出演はなし。
なんだろう、この空虚な感じ。
歌番組に出るべき人が出ないと、どんなに豪華に仕立ててみても、こうなってしまうんだなと。
来年はどの歌番組もこんな風になってしまうんだなと。
解散まであと20日。
それでも、やっぱり信じられない、信じたくないと思うファンが多数派ではないだろうか。
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by たいたい by taitaifromichon | 2016-12-09 10:08 | | Comments(0)

フレディーマーキュリーという人
2016年 11月 24日
大学三年の秋のこと。
いつもの朝と変わりなく自転車で大学に向かう。
いつもの友とあいさつを交わし、授業を受ける。
お昼を食べ、午後の授業が終わって、さあ、今日は何して遊ぼう!と、元気になる瞬間。
親には申し訳ないが、大学生とはこんなもんだ。
ところが、グループのうちの一人、土居さん(仮名)が、がっくり肩を落として「ごめん、今日は帰るわ」と言う。
どうしたのか尋ねると、「ちょっと今日はもう何もできないぐらいのことがあって」とだけ言い、まさる君号(当時、絶大な人気を誇っていた若乃花のまわしと同じ色の自転車だったことから命名)の乗って、力なく帰って行った。
同じグループの友にどうしたのか尋ねると、なんでもイギリスのクィーンというロックバンドのボーカルが亡くなったらしい。
当時、洋楽に興味のかけらもなかった私は、すごい入れ込みようやなと驚いた。
それから数日して、少し元気になった土居に聞いてみる。
「なあ、そんなにすごいバンドやったん?そんなに好きやったんや。」
すると、目にうっすら涙を浮かべて、「うん。好きとかいうレベルじゃないねん。」と答えた。
なんとなく、そのまま話を終わらせるのが申し訳なく思い、「じゃあ、今度聴かせてよ。」と返した。
翌日、「これ、聴きやすいのんをセレクトしたで」と3本のカセットテープを渡された。
仕事、早っ!
「ありがとう」とは言ったものの、実のところ全く洋楽に興味のない私。
当時は、洋楽=じゃんじゃか煩い音楽のイメージだった。
家に帰ってもすぐに聴く気にはなれず、数日、放置していた(土居、ごめん)。
数日してから、どんな心境の変化だったかは記憶に定かではないけど、丸っこい字で書かれたQUEEN BEST①なるテープをかけてみる。
スピーカーから聞こえてくるその澄んだ繊細な声に我が耳を疑った。
私のイメージではもっと野太い声でじゃんじゃかうるさい音楽で・・・・
時がたつのも忘れ、3本のテープを一気に聴いた。
それが私とフレディーマーキュリーとの出会いだ。

あれから25年。
ずっと聴き続けているフレディーの美しい声。
今や私の生活にはなくてはならないものになっている。
「うん。好きとかいうレベルじゃないねん。」
そう、好きとかではなく、生活の一部になっている。
そんなフレディーと私は同じ時代に生きていたはずなのに、生前の彼をリアルタイムで見たことがない。
私が見るフレディーは、私が聴くフレディーは全てこの世に存在していない人。
それが残念でならない。

フレディーの没後、ボーカルを別の人が担当してクィーンのツアーが何度か行われた。
数年前、土居が誘ってくれてさいたまアリーナに行ったけど、やっぱりフレディーの声を聴いてみたかった。
今日、フレディーが亡くなってちょうど25年になる。
土居も私と同じように神のような声に癒されながら、今日の日を過ごしているに違いない。
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by たいたい by taitaifromichon | 2016-11-24 11:53 | | Comments(2)

ネガティブな人
2016年 11月 18日
私は所謂お母さんっ子だった。
幼い頃(いや、かなり大きくなるまで)、母が大好きで、いつも母の傍から離れなかった。
母との他愛もない会話が楽しくて楽しくて、ちょっと兄が邪魔をしたりすると、とても不愉快だった。
でも、ある時、母はとてもネガティブな人だと気付いてしまった。
冷静に観察していると、いつも小言や文句を言っている。
私に対してということでなく、世の中、家族、会社の従業員、果ては会ったこともない芸能人に至るまで。
それ以来、ちょっと距離を置くようになった。
もしかしたら、そんなお年頃だったから距離を置いただけなのかもしれないけれど、その頃ぐらいから、私は物事を前向きに捉えようと意識するようになった。

先日、見るとなく見ていた番組で、家族や恋人「だけ」に怒りがわいてくるのは甘えがあるからだと言っていて興味深かった。
親しければ親しいほど、こうしてほしい、こうあるべきという欲求が深くなり、甘えてしまうのだとか。
自分が母親になった今、思う。
私はいつも怒っている。
朝から晩までムスコに対して、時にはムスコに対するヲットの態度にも、がみがみ言っている。
そして、夜になり寝ているムスコの顔を見ながら、呟くのだ。
「今日もかーちゃん、怒ってばっかりでごめんね。」
寝ているはずのムスコがぎゅっと私の首に手を回してくる。ますます反省。
他人だったら、よそのお子さんだったら、きっと怒るはずもない小さなことでガミガミ、イライラ。
ムスコにもいいところはたくさんあるのに、そこを褒めてあげるのではなく、悪いところばかりをガミガミ、イライラ。
なんてネガティブな人間なんだろう。
そして、ふと気がつく。
母はネガティブな人だ。
でも、それは、少なくとも家族に対するそれは、こうあってほしい、こうあるべきという欲求からくる甘えだったのではないだろうか。
そして、その母の娘は今、自分のムスコに対して同じことをしている。
ムスコはいつか思うだろうか。
自分は母のようにネガティブな人じゃなくて、物事を前向きに捉える人間になりたい。
ここ最近、母の気持ちが分かるようになったのは、自分が母になったからなのだろうか、それとも、歳をとったからなのだろうか。
子の気持ち、母の気持ち、いろんな気持ちが入り混じる今日この頃。
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by たいたい by taitaifromichon | 2016-11-18 15:02 | | Comments(0)

卵焼き
2016年 11月 11日
日本は狭い国だけど、西と東で結構違いがある。
卵焼きもそのひとつ。
西で生まれ育った私にとって、東の甘い卵焼きは衝撃的だった。
その初めての衝撃は、忘れもしない高校の時。
女子にありがちな、お弁当のおかず交換でのことだった。
友人のさっちゃん(仮名)のうちの卵焼きは、ふっくら大きく、ところどころに茶色い焦げ目の入ったそれはそれは美味しそうな卵焼きだった。
私のハンバーグと、さっちゃんの卵焼きを迷うことなく交換。

甘っ!!!

思わず口に出したかどうかは定かでないが、その味は今でもはっきり覚えている。
卵焼きが甘いなんて。何かの罰ゲームなのか?
あれから数十年。
韓国にも卵焼きなる食べ物はあるけど、塩味。砂糖は入れない。
ゆえに、結婚後も我が家の卵焼きは砂糖なしの甘くない卵焼き「だった」。
ところが、帰国して住み始めた藤沢は、押しも押されぬ東の味付け。
どこに行っても甘い卵焼きで、10年以上もここで暮らすと、それに違和感がなくなってきた。
加えてムスコが生まれ、もう我が家の卵焼きは砂糖入りの甘い卵焼きが定番となってしまった。
先日、久しぶりに慣れ親しんだ砂糖なしの卵焼きを作ってみた。
一口頬張るや否や、「これ、何~?かーちゃん、何か間違えたの?」と、ムスコ。
「ばーちゃんの卵焼きはこの味だし、かーちゃんもこの味で育ったんだよ」と答えると、不思議そうに卵焼きを見つめ、ムスコは箸を置いた。
翌日、いつもの甘い卵焼きを作ると、美味しそうにパクパク食べるムスコ。
ムスコにとってはこれが卵焼きの味なんだなと、しみじみ甘い卵焼きを見つめる私。
なんだか、ちょっと寂しい。
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by たいたい by taitaifromichon | 2016-11-11 11:37 | | Comments(0)



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