深夜、自宅の電話がなった。
どう考えても、常識的に電話をする時間ではない深夜2時過ぎのことだった。
嫌な予感がした。昔ならイタズラ電話を疑い、決して取ることはなかっただろうけれど、私もヲットも韓国からだと直感した。
電話に出たヲットは「いつ?」「分かった」とだけ言い、受話器を置いた。
ベッドに座り深くため息をついた後、「とーさん、亡くなったって。」と、呟いた。
そのままごろんとベッドに横たわるヲット。
ムスコが目を覚ましたので、あやしていると、むくっと起き上がって、「チケットの予約って24時間なのかな。」と言う。
JALに電話してみるも、営業時間外。
確か、私の記憶ではアシアナは24時間予約可能だったと思う。
アシアナに電話し、朝一の便に予約を入れる。
その後、韓国行きの準備を淡々と始めるヲット。
会社にメールを送り、服やら何やらを出張にでも行くかのように鞄に詰め込む。
一通り準備が終わり、目覚ましをセットする。
「1時間ちょっとしか寝られないな。」
そんなことを呟きながら横になるヲット。
一般的に韓国人は感情を隠すことなく表現することが多い。
なのに、全く涙を流すそぶりを見せないヲット。
少し心配になって、「大丈夫?」と聞くと、「うん。」と小さな声で返事をした。
亡くなったシアボジ(義父)はとても理解のある人で、結婚にも反対しなかったし、結婚式も周りが派手だと反対する中、ひとりだけ、一生に一度のことだからと言ってくれた。
ヒョンニム(義姉)に比べて、私は明らかによくしてもらっていたと思う。
だから、親族一同はシアボジのことを頑固で怖いと言うけれど、私には少しもそんなイメージがない。
そんなシアボジが脳梗塞で倒れた時、私はひどく後悔した。
もう少し言葉が達者になったら、娘のいないシアボジとシデクのそばにある土手を2人で散歩しようと思っていたのに、もう少し、もう少しと思っているうちに、それは叶わぬこととなってしまった。
脳梗塞を患ってからは言葉も不自由になったため、ほとんど会話を交わすこともなくなった。
そもそも日本で暮らし始め、会う機会も少なくなっていたのだけれど。
早く韓国に帰って来いと口癖のように言っていたシアボジは、もしかしたらこのイルボン ミョヌリ(日本人の嫁)のせいで、我が息子は韓国に帰ってこられないのだと、怒って話をしたくなくなったのかもしれない。
ムスコがいるので私は葬儀には出席できない。
いろいろな思いを巡らせ、不出来なミョヌリは最後の最後にシアボジに手紙を書くことにした。
起き上がろうとしたその時、私に背を向けて寝ていたヲットの鼻水をすする音が聞こえた。
背中をさすると、肩が震えているのが分かった。
虫の知らせか、ヲットは1年ぶりに先月、シアボジに会いに韓国に戻っていた。
それだけに死期は悟っていたと思う。けれど、悟ってはいても認めたくはなかったのだと思う。
当然のことだ。
私は起き上がるのをやめて、じっとしていた。
やがて、ヲットのそれは寝息に変わった。
ほどなくして、目覚ましが鳴り、起きたヲットは、また何事もなかったかのようにシャワーを浴び、服を着替えた。
1時間前に見たと思ったヲットの姿は夢だったのだろうか。
「先月、会っといてよかったわ。あと2~3年はと思ってたのに。」
そうだね、としか返事ができない私。
「じゃあ、行って来るね。こべさんのこと、よろしく。」
出張に行く時と同じ言葉を残して、家を出たヲット。
結局、手紙を書けなかった私。
最後まで不出来な嫁。
何よりも不出来なのは、ムスコを抱っこさせてあげられなかったこと。
申し訳ない気持ちと、後悔の念でいっぱいだ。