それは、14日の夜(正確には12時をまわっていたので15日)。
明日から3連休。箱根でも行く?と話していたときのこと。
電話が鳴る。
私の実家は田舎のせいか、夜が非常に早い。12時まで起きているなんてことはめったにない。
オットが電話に出る。
そばで聞き耳を立てる私。どうやら、あまりいい電話ではないようだ。
電話を切った後、オットが言う。「おばあちゃん、亡くなったって。」
急遽、韓国行きが決まった。準備やら何やらで寝たのは3時。
チケットは持っていたものの、席を押さえていなかったので、翌朝7時半には羽田のキャンセル待ちの列に並んでいた。
運良く席が取れ、11時にキンポに到着。
私の再入国の手続き(マルチでも2年までなら空港で可能)を済ませ、帰国のチケットを購入し、高速バスターミナルへ向かう。
韓国も土曜日から3連休。警報が出るぐらいの豪雨にも関わらず、ターミナルは人であふれかえっていた。
3時のバスを予約し、オットの田舎に着いたのが6時。普段の倍、時間がかかった。
お通夜はシデク(=オットの実家)ではなく、近くの大学病院で行われるらしい。
病院に到着してすぐに、おばあちゃん(もちろん、祭壇の棺に納められている)にジョル(韓国式の挨拶)を2回。
シブモ(=義両親)に挨拶をし、すぐに白い韓服を着た。
以降は、お通夜に来る人の配膳等で立ちっぱなし。
韓国のお通夜は日本と異なり、深夜まで人が訪れる。
中には、花札に興じる人もいて、非常に賑やかだ。つまり、その分、お酒の準備等も大変。
ようやく横になったときには3時をまわっていた。