先月の事。
唯一無二の親友が東京に越してきた。
田舎を離れた17歳の春、彼女は山口に私は兵庫へと旅立った。
一生の別れでもないのに、小倉駅の在来線のホームで彼女の乗る電車を泣きながら見送った。
これが私が記憶する最初の別れ(=見送り)。
ほどなくしてゴールデンウイークがやってきた。涙の別れから一ヶ月足らずで、再会した私たち。
その後も長い休みには必ず再会。
私よりも少し早く車の免許をとった彼女はいつも車でうちにきてくれた。時には彼女の運転で海に行ったりもした。
少しだけ大人になった私たちは長い時間話し込み、いつも彼女が帰るのは夜も更けてからだった。
田舎の暗い道を車のテールランプだけが赤く光る。
そのランプが角を曲がって見えなくなるまでずっとずっと手を振り続けて見送った。
また休みになったら会えることは分かっているのに、踵を返すや否や涙があふれてくる。
やがて私が韓国で暮らすようになると、学生の頃のように会うのは難しくなった。
けれど、日本に帰る時は必ず彼女のいる街を経由して実家に帰っていたし、彼女が韓国に遊びに来てくれたりもしていた。
その辺りからだろうか。
彼女だけに関わらず、見送る寂しさを痛感するようになった。
日本から遊びに来てくれた友を空港に送る。
出国ゲートをくぐる友を見送ったあと、くるりと振り返った時の空港の景色、家路に向かうときのバスから見える風景、全てに胸が締め付けられる思いだった。
そして、家に着くとわんわん泣いた。
そうなのだ。私にとって「見送る」ことは「別れる」ことに直結するのだ。
だから、帰国してこの町に住むようになっても、彼女と会うたびに、彼女を見送る電車のホームでぽろぽろ泣いた。
その彼女が都内に引っ越してきたのだ。
小倉で別れたあの春から数十年。
ようやく電車で行き来できる距離で暮らせるようになった私たち。
その彼女と昨日、都内で再会した。コロナ禍も手伝って、実に4年ぶり。
改札で、「たいたい!」と声をかけられ、振り向くと彼女が大きく手を広げてこちらに走ってきた。
「すぐ分かった。すぐ分かったよ・・・」
「うんうん・・・」
そう言うと、2人で抱き合って泣いた。
待ち合わせの人がたくさんいる中で抱き合って泣いた。
「あ~、こんなふうになる気がしてた。ちょっと落ち着こう!」と、柱の陰でクールダウンした。
あっという間に時間は流れ、夕方に。
帰りの電車で私が改札を通る時、彼女が言った。
「今日は私が見送るけん(=見送るね)」
頷いて、改札を抜ける私。何度振り向いてもずっと私を見ている彼女。
見送ることは別れること、だけど、実は見送られることも別れること、なのだ。
振り向かずに行かないとずっと彼女は帰れない。
だからもう振り向かずに行こう。そう思って小走りにホームへ向かった。
最寄り駅についてもまだ夢見心地だった。
電車で行き来できる距離に暮らすことはもうないだろうと諦めていたので、越してきたと言われても、にわかには信じがたかった。
そして、実際に会っても、来月も絶対に会おうね、と約束しても、それでもやっぱりまだ信じられない。
でも。
コロナ禍の終わりが見えてきたこの時期に、ムスコが中学に入学したこの時期に彼女が都内に越してきたことにはきっと意味があるのだ。
17歳とは違う、もう人生の折り返し地点を過ぎた今だからこそ二人で楽しめることがきっとある。
神様がそう言っているような気がしてならない。